2008.03.30
ワキとシテと地謡
国立能楽堂で「鵜飼」を観てきた。
東郷神社の前を通って、神宮前から雨の中を歩いて向かう。表参道の桜も八分咲きで、ふとした軒先から顔を出す花の霞に思わず目を奪われる。「鵜飼」はシテを観世清和が舞う期待十分な香盤で、前シテが戻る直前の場面では、息詰まる緊張感に拳を堅く握る。
後シテとして閻魔が登場する間、地謡に注目すると、あれ?あの人、梅若六郎にそっくりだな、という老人が混じっている。後で調べてみると、なんとやっぱりあの梅若六郎が地謡で出演していたのだ。
同行者に好評だったのはむしろ狂言の柿山伏。羽黒山の山伏が柿を盗み食いして、それを見つけた畑主がからかうという筋書きなので、詞書きも現代語に近く判りやすい。何と言っても対話のスピードが今に近いのである。一方、不評であった能と特別に演された高野山の真言声明は長い間があり、特に能は所作スピードを半分以下に落としている。ここに強い緊張感が生まれ、孕まれる世界が膨らむのだが、現代生活に馴れた私達はその間を待てない。
先週先々週と、松岡正剛氏が所長を務める編集工学研究所に御邪魔してきたが、真言宗のある高僧との打ち合わせに同席する。その中で松岡氏から「高野山へは絶対一度は行くべきですよ」と強く勧められる。
実は秋口に登る予定だったのだが忙しさにかまけて有耶無耶になっていたのだ。その代わりといっては何だが、高野山の声明は聴いておこうということで、今回の能楽鑑賞会を企画した。
家の前の通りは桜が満開である。
マンションの3Fという高さは桜の花の高さであり、面格子の外に拡がる景色は、まるで桜の中に浮かんでいるかのようである。樹齢五十年前後の桜が約450本並ぶこの通りは、樹木医の判断で若木に植え替えられはじめている。しかし我が家の前の桜たちはどっこい頑張っているのだ。暫く戸を開けて眺めてみよう。
続古今集の西行の歌から。
わきて見ん老木は花もあはれなり今いくたびか春に逢ふべき
posted by idr at 16:09
